え~っと、じゃあハガキいってみましょうかね。 え~、子育てネーム『栗南瓜』さん
小学校ね。 うん。 いや、小学校についてはねぇ。 模索してるはしてるんですけど、正直まだ大した知識はないんですよね。 自分でも正確に理解してるとはとても思えないんですけど、 まぁとりあえず今のところの印象としては。。。 ●国立小学校 教育の実験的側面を持った学校。 試験により、実験を遂行できるくらいの選別はするけど、抽選枠を設けるなどである程度実際の環境にも近くしてる風でもある。 でも、基本的に入試させなきゃなんないんで、親が比較的教育に関心を持ってる家庭が多くなるし、実際学力の高い子が集まるんだと思う。 だから、学級崩壊的な事は少なくなるのではないかと。 ●私立小学校 基本的には進学のための学校 まぁ、幾つか例外はあるんだろうけど、とりあえずエリート養成って事でしょ? 試験で物理的に選別して賢い子供を集める。 学費も高いから、必然的に裕福な家庭の子供が集まる。 授業内容も独自に考えられてて、上手な頭の使い方とか、無駄がなくて効率的にな学習法とかが身に付いて、恐らく上手に生きていく人間が作られていくんだと思う。 教育方法も練りこまれてて、学級崩壊的な事も無いか、少ないのではないかと思う。 ●公立小学校 まぁ、その地域のほぼ全員が入ってくるわけで、雑多な人間が集まりますわね。 でも、金持ちと教育に関心のある家庭はどんどん私立、国立に流れていく傾向にあるから、ONの時代よりは若干、『その他』的な感じになってるのかねぇ。 まぁでも、それは私立が活性化してる都市部だけの話なのかもしんないけど。 で、これも地域に寄るんだと思うけど、破滅的に崩壊している。 って感じですかねぇ。 まぁ、つっこみどころ満載の誤解の嵐かもしんないですけど。 とりあえずこんな感じだと、現段階では認識してます。 で、要望的に言うと、どうですかねぇ。 正直学校側に臨む要望ってあんまないというか、ONが安心してせがれを任せられる学校にしてもらうには、学校側がどうこうできることじゃなくて、どっちかっていうと、親の問題というか、人間全体の問題というか。。 結局、教育現場が上手く行かなくなったのは、封建制度の崩壊が理由なわけで、教師達の理不尽なものも含めて、力による統治が効かなくなって、逆に同等の力を持った、親と生徒がそれぞれその力を行使して暴れている。 人間てのは結局、力を手にすると行使したくなる動物なわけで、それを自制できるようにはなかなかなれないもんだからねぇ。 ていうか、これは話が壮大すぎてとても30分ではまとまらないすね。 教育の事は難しいです。 他にも言いたい事がなんか色々あるんだけど、まだ断片的で上手くまとまんないなぁ。 もうちょい色々考えてみますね。 せがれ達よ! ONも行使する力が、欲しい。 -- [関連] ハガキアーカイブ おはがき募集中。 右上のフォームからどうぞ。
日時: 2007年11月11日 15:57
感覚的な話なのですが、 僕が毎日電車で見る私立の小学生は、どうもテストや、受験の影響で、「数字」ばかりを見ている、小さい大人のようなものに見えます。 先日、「どの先生の授業が点数につながる」という話をしていたのは衝撃でした。 その点、公立の小学生の方が、目が濁ってないというか、人間らしいというか、生き生きとしている気がします。
投稿者: piyo | 2007年11月11日 17:54
私も私立だと何かが足りないような気がします。 自分自身まだ子供なもので勝手な意見で申し訳ないのですが。; 勉強とかテストとか、いちいち頭の中に入ってくるのは、やはり心の余裕などをなくさせているように思いますし、コミュニケーションなどがうまくできなくて、勉強が出来てもそこでつまづいてしまう子供も多いと思うのです。 私は、子供の頃は思いきり遊ぶのがいいと思います。 力加減も、相手を思いやる気持ちも、大人が細かく教えることはできません。ですが、遊んでいくうちに、子供の社会みたいなものができていって、だんだんとたくさんのことを学んでいけるのではないでしょうか。
投稿者: ネコ | 2007年11月11日 19:53
関係ないが朗報 https://journal.mycom.co.jp/news/2007/11/10/002/index.html
投稿者: いとう | 2007年11月11日 21:22
ありがとうございます。 そうですよね、なんとも言いがたいですよね。
いくつかコメントを含めて出てきた言葉についてちょっと考えてみました。
「親・先生」「力」 私は先生も親も周りをかこむ大人として子どもにめいいっぱいつきあっていけたら良いんだろうなと思っています。 何か問題が起きたときニュースで流れるのは「教師が」とか「親が」とかどちらかで話されていることが多いように思います。 しつけ、いじめ、学級崩壊・・・いろいろ問題があると思いますが どちらもどちらかにまかせっきりじゃなければ、子どもに色々な視点から関わっていければって思っています。
今「力」に対して、最近保護者の方や小学生が強くなっているということは確かにあるとおもいます。 それに対抗するために、と学校側で扱えないものを法的に扱ってもらう弁護士を用意しようか、という話もでているそうです。まだ、実施とかはされていませんし、うわさ、ですけれども。 そんなことにならないように、大人同士の関係を上手く作っていけるよう努力していくことが大事なのかな、と感じました。
「数字」 ニュースにもなっていたのですが・・・全国統一のテストが行われましたよね。 あれが結構「数字」に関心を余計に高めていっているような所もあるそうですね。ゆとり教育の反動ということもあるとは思いますが・・・。 そのテストでかどうかは忘れてしまったのですが、あるところでは、成績の良いところには学校にかける費用を増やし、悪い所には減らしていくという方策をとろうとした地域もあるそうです。 数字ってどうなんでしょうかね。
今教育のテーマには「生きる力」が大きくなっています。 ある程度数字は必要になってくるとも思うのですが、、、 小学校に絶対評価って 難しいですね。
投稿者: 栗南瓜 | 2007年11月12日 00:00
うぐお! ダークな鬼太郎マジすか!? 遂に来たねぇ。 ていうか、かなりジャストタイミングだよね。 この前言ってたトコだもんね。 深夜にやれってね。 ホントに来たかぁ。 でもあれだね。 墓場鬼太郎なんだね。 随分遡るねぇ。 墓場鬼太郎まで行くとONも正直、数話しか読んだこと無いんですよねぇ。 なもんだから、早速Amazonで購入して予習する事にしました。 むはぁ、楽しみ。
そんで、学校問題は、えぇ。 すいません、上手くまとまんなくって。 でも、これから嫌でも色々考えなきゃなんないんで、 ちょくちょく書いてきますね。
投稿者: ON | 2007年11月12日 13:45
小学校で絶対評価…ですか? 私の解釈が間違っていなければですが 私は相対評価を受けた経験が無いです。 ちなみに、公立小中出身の私立高校生です。
難しいこととは思えないです。 威厳ある教員が、生徒を優しく見守っているような環境だったからでしょうか。
投稿者: 七恵 | 2007年11月13日 02:35
あ、いえ 相対評価が基本になっていますが・・・
テストって、点数が出るので 数字を持って何を認識しようとするのか 何ができないっていうことは大事だと思うのですが、
数字にする ということは何なのかなと思いまして・・・
私は中高は私立で、試験の点数での絶対評価だったものですから 数字に出すということはそちらの評価にも目が行くのかな、と感じてしまいます。
投稿者: 栗南瓜 | 2007年11月13日 23:04
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感覚的な話なのですが、
僕が毎日電車で見る私立の小学生は、どうもテストや、受験の影響で、「数字」ばかりを見ている、小さい大人のようなものに見えます。
先日、「どの先生の授業が点数につながる」という話をしていたのは衝撃でした。
その点、公立の小学生の方が、目が濁ってないというか、人間らしいというか、生き生きとしている気がします。
投稿者: piyo | 2007年11月11日 17:54
私も私立だと何かが足りないような気がします。
自分自身まだ子供なもので勝手な意見で申し訳ないのですが。;
勉強とかテストとか、いちいち頭の中に入ってくるのは、やはり心の余裕などをなくさせているように思いますし、コミュニケーションなどがうまくできなくて、勉強が出来てもそこでつまづいてしまう子供も多いと思うのです。
私は、子供の頃は思いきり遊ぶのがいいと思います。
力加減も、相手を思いやる気持ちも、大人が細かく教えることはできません。ですが、遊んでいくうちに、子供の社会みたいなものができていって、だんだんとたくさんのことを学んでいけるのではないでしょうか。
投稿者: ネコ | 2007年11月11日 19:53
関係ないが朗報
https://journal.mycom.co.jp/news/2007/11/10/002/index.html
投稿者: いとう | 2007年11月11日 21:22
ありがとうございます。
そうですよね、なんとも言いがたいですよね。
いくつかコメントを含めて出てきた言葉についてちょっと考えてみました。
「親・先生」「力」
私は先生も親も周りをかこむ大人として子どもにめいいっぱいつきあっていけたら良いんだろうなと思っています。
何か問題が起きたときニュースで流れるのは「教師が」とか「親が」とかどちらかで話されていることが多いように思います。
しつけ、いじめ、学級崩壊・・・いろいろ問題があると思いますが
どちらもどちらかにまかせっきりじゃなければ、子どもに色々な視点から関わっていければって思っています。
今「力」に対して、最近保護者の方や小学生が強くなっているということは確かにあるとおもいます。
それに対抗するために、と学校側で扱えないものを法的に扱ってもらう弁護士を用意しようか、という話もでているそうです。まだ、実施とかはされていませんし、うわさ、ですけれども。
そんなことにならないように、大人同士の関係を上手く作っていけるよう努力していくことが大事なのかな、と感じました。
「数字」
ニュースにもなっていたのですが・・・全国統一のテストが行われましたよね。
あれが結構「数字」に関心を余計に高めていっているような所もあるそうですね。ゆとり教育の反動ということもあるとは思いますが・・・。
そのテストでかどうかは忘れてしまったのですが、あるところでは、成績の良いところには学校にかける費用を増やし、悪い所には減らしていくという方策をとろうとした地域もあるそうです。
数字ってどうなんでしょうかね。
今教育のテーマには「生きる力」が大きくなっています。
ある程度数字は必要になってくるとも思うのですが、、、
小学校に絶対評価って
難しいですね。
投稿者: 栗南瓜 | 2007年11月12日 00:00
うぐお! ダークな鬼太郎マジすか!?
遂に来たねぇ。
ていうか、かなりジャストタイミングだよね。
この前言ってたトコだもんね。
深夜にやれってね。
ホントに来たかぁ。
でもあれだね。
墓場鬼太郎なんだね。
随分遡るねぇ。
墓場鬼太郎まで行くとONも正直、数話しか読んだこと無いんですよねぇ。
なもんだから、早速Amazonで購入して予習する事にしました。
むはぁ、楽しみ。
そんで、学校問題は、えぇ。
すいません、上手くまとまんなくって。
でも、これから嫌でも色々考えなきゃなんないんで、
ちょくちょく書いてきますね。
投稿者: ON | 2007年11月12日 13:45
小学校で絶対評価…ですか?
私の解釈が間違っていなければですが
私は相対評価を受けた経験が無いです。
ちなみに、公立小中出身の私立高校生です。
難しいこととは思えないです。
威厳ある教員が、生徒を優しく見守っているような環境だったからでしょうか。
投稿者: 七恵 | 2007年11月13日 02:35
あ、いえ
相対評価が基本になっていますが・・・
テストって、点数が出るので
数字を持って何を認識しようとするのか
何ができないっていうことは大事だと思うのですが、
数字にする
ということは何なのかなと思いまして・・・
私は中高は私立で、試験の点数での絶対評価だったものですから
数字に出すということはそちらの評価にも目が行くのかな、と感じてしまいます。
投稿者: 栗南瓜 | 2007年11月13日 23:04